野球
2008年08月07日
ボブ・ホーナー (プロ野球助っ人外人)
どもども。蛇口です。
今回は「プロ野球助っ人外人シリーズ」の第2弾です! さて、今回の助っ人は?

プロ野球助っ人外人シリーズ(2)
ボブ・ホーナー (背番号50)
ヤクルトスワローズ 1987年在籍
獲得タイトル なし
プロ野球助っ人外人シリーズ(1)でご紹介したランスと同年に日本にやってきた助っ人外人。
ランスと違って、今でも覚えている人は多いのでは?
「現役バリバリのメジャーリーガー、しかも四番を打っていた選手がヤクルトに来る!」
ホーナーが来日した1987年は、まだまだプロ野球人気が凄まじく、本物の大リーガーということで、その注目度は相当なものでした。
そして来日してすぐホーナーはその実力を日本中に見せつけます。
日本での第一試合目の阪神戦で早くもホームランを1本放っていたホーナーが、大爆発したのがその次の試合。
同じく阪神戦で、先発の池田投手から3本のアーチをかけて度肝を抜きました。
これがそのシーン(youtubeより)
歓声の大きさが、ホーナーの注目度と当時の野球人気を物語ります。
ホーナーは、「赤鬼」と呼ばれたりしてホーナー旋風を巻き起こします。
ホーナーはこの年、打率.327、本塁打31本、打点73の記録を残します。騒がれた割にはたいしたことないなと思われる方もいるかもしれませんが、ホーナーはシーズン途中に肩を痛めて、93試合(通常の約7割)しか出場していないのです。
ホーナーは結局シーズン途中にヤクルトを退団、そのまま日本球界からも去ってしまいました。
翌年に「地球のウラ側にもうひとつの違う野球(ベースボール)があった」という本を出して、日本野球を多少けなした内容だったため、バッシングされてしまいます。
蛇口も当時読みましたが、それほどひどいことは書いてなかったような…。
この本の中でホーナーが日本の投手について感想を書いており、その中にグッドピッチャーとして我がカープの大野と川口の名前が挙がっていて嬉しかったのを覚えています。
ちなみにホーナーが日本人のベストピッチャーに挙げたのは、大洋ホエールズ(当時)の遠藤一彦投手でした。
ホーナーで蛇口の記憶にメチャクチャ残ってるのが、その当時発売されたファミコンソフトの「燃えろ!!プロ野球」(ジャレコ)で、ホーナーだとバントでホームランが打てたこと!!(笑)
ホーナーの衝撃に、パラメータを過剰に設定してしまったんでしょうか(笑) とにかく燃えプロのバントホームランは話題でしたね。
人々の記憶に大きく残る助っ人、赤鬼ホーナー。
今は何をしてるんでしょうか…。
2008年07月17日
長嶋清幸のツッパリ野球人生 / ネットコラム
ども。蛇口です。
ナイツのボケっぷりが最高に好きな今日この頃。
スティーブン・佐世保バーガー…(笑)
さて、今回はゲンダイネットに掲載中のスポーツコラムを紹介します。
毎回楽しみなんですよね〜。
【長嶋清幸の「ツッパリ野球人生」】
ゲンダイネット http://gendai.net/?m=list&g=sports&c=040&s=424
長嶋清幸氏は、元プロ野球選手。
1979年ドラフト外で、広島東洋カープに入団。
巧打巧手の外野手として活躍。
国内初の背番号「0」の選手としても有名。
勝負強いバッティングで、二試合連続サヨナラ本塁打や、日本シリーズMVPなど記憶に残るプレーを見せました。
長嶋氏が入団した頃のカープは、今と違って毎年優勝候補の黄金時代。
山本浩二・衣笠祥雄・水谷実雄・高橋慶彦・池谷公二郎・北別府学などなど、とにかく一癖も二癖もありそうな強烈でかつ、実力者が揃っていた時代でした。
長嶋氏は入団時のエピソードから、鬼コーチ「大下」の鉄拳制裁、ミスター赤ヘルの凄み、鉄人衣笠の優しさなど、当時のカープの様子が伺える内容を連載しています。
少しだけタイトルを挙げると…
「ミスター赤ヘル」が6番降格で見せた“打撃の極意” (掲載日:2008年6月20日)
慶彦さんも浩二さんも癖盗みのコツは教えてくれなかった (掲載日:2008年7月3日)
ソフトイメージの古葉監督は口より先に手が出る鉄拳指導者だった (掲載日:2008年7月8日)
広島選手は骨を折ってもゲームに出るのは当たり前だった (掲載日:2008年7月11日)
どうですか? 興味がそそられるエピソードばかりじゃないですか?
まだ連載途中ですので、これからも面白い話が読めそうです。
ぜひ、一度ご覧になって下さい!
2008年07月03日
リチャード・ランス (プロ野球助っ人外人)

ども。蛇口です。
毎日忙しい! 大変です。
でも、幸せなことですね…実感。
さて、今日のレビューは…
「プロ野球助っ人外人シリーズ」と題しまして、私のフェイバリット助っ人外人を紹介します!
一回こっきりでこのシリーズは終わるかもしれませんが(笑)
ぜひ、バーババッババラババーバーバー♪と口ずさみながらお読み下さい。

プロ野球助っ人外人シリーズ (1)
リチャード・ランス (背番号45)
広島東洋カープ 1987〜1988年在籍
獲得タイトル 本塁打王(39本) 1987年
若い人はご存知ないでしょう。
広島東洋カープにたった2年間だけ在籍した助っ人外人です。
ミスター赤ヘル山本浩二が引退した翌年、浩二の穴を埋める長打力の持ち主として、周囲の期待を集めて広島にやってきたのがこのリチャード・ランス。
私の手元にある、中国新聞社発行の「プロ野球ハンドブック’87カープガイド」には、こう記されています。
「一発長打が魅力。3A時代10年間の長打率も4割を超える。プルヒッターでポスト浩二の穴うめとして期待されている。」
私も期待してました(笑)
ランスはシーズンが始まると、「俺の仕事は長打を打つこと!」ととにかくブンブン振り回すバッティングを披露。
「俺にはヒットは必要ない、とにかくホームランがでりゃええんじゃ〜」と思ったのか知りませんが、打率は2割ちょっとで三振しまくり、ただしバットにボールが当たればホームランというとんでもない扇風機ぶりを発揮(笑)
期待されたホームランは、入団した年に39本を放ち、あのバースを抑えてホームランキングに輝きました。
しかしながら規定打席に到達した選手の中で最低の.218という打率に加え、最多の114三振を喫するという安定感のなさぶりでした。
さて、ここまで書くと「なんだよ、全然ダメ助っ人じゃん。なんでこんなのがフェイバリットなんだよ」とお思いでしょう。
ランスが蛇口にとってなぜ、フェイバリット助っ人なのか?
それは…
ランスは打率も低く三振が多いです。つまり打席での期待値が少ない。見てる方も「どうせダメだろう」って思ってるんです。
蛇口も同じでした。
しかしランスは突然爆発するのです。しかも非常にいい場面で。
その当時のカープは貧打でした。
今と違って投手力はすごかったです。
北別府・大野・川口・長富・金石・川端・白武・小林誠二・清川・津田…投手王国でした。
対照的に打線は4番に小早川、衣笠・長内・山崎・長嶋・正田・高橋慶彦など…小粒でした。衣笠は極度のスランプでしたし。
つまり、点が取れないけど、投手は抑えてるという緊迫感のある試合が多かったのです。
そんな中、どうせ三振だろうなんて思ってるランスがたまにドカーンと噴火するんですよ。
特にランスは巨人戦で強く、1点を取り合うシーソーゲームの中、いい場面でホームランをかっ飛ばすと、大変なカタルシスでしたね。
ランスの突然の爆発は、「ランスにゴン!」と言われ当時流行ってました。
当時の広島vs巨人戦で、ランスの活躍が非常に記憶に残ってる試合があります。
巨人は桑田、広島は誰が先発か忘れましたが、投手戦となり同点のまま延長に入りました。
桑田の投球数160球を過ぎた頃に、ランスが打席に立ちました。
あっという間に追い込まれて2ストライク。そのときにアナウンサーと解説の張本勲氏(ご意見番スポーツの喝!で有名なあの人です)との間に以下のやり取りがありました。
アナ「張本さん、さぁランス追い込まれましたけど、どうでしょう。」
張本「いやぁ、97%三振でしょう。」
アナ「残りの3%は?」
張本「凡打でしょう(笑)」
蛇口はラジオを聴いてたんですが、くそー張本巨人びいき丸出しにしやがって!なんて思ったものです。
そうすると…
アナ「さぁ桑田、振りかぶって第170球目を投げ…」
アナ「打ったぁぁぁぁぁあああ!!!! 大きい! 大きい! これは入った!入った! ランス、ホームラーーーーン!!!」
鳥肌が立ちました。
この頃から蛇口はランスのこの豪快さと脆さを併せ持つギャップに魅せられてしまいました。
ランスこそ、野球漫画「ドカベン」に登場する人気キャラクター「岩鬼正美」を実在化したような選手だと思ってましたね。
ランスは本塁打王を取った翌年の1988年、その扇風機ぶりを批判されたを気にしたのか、指導があったのか、センターより左方向に流し打ちをし始め、一時期.287くらいまで打率が上がったことがありました。
しかし、結局元の打ち方に戻り、今度は極度の打撃不振に陥りシーズン終了を前にカープを去ることになってしまいました。
最近、ネットでこんなニュースが出てました。
「読売・高橋由伸外野手が“ランス化”危機・・・本塁打王争いも打率.219の低空飛行」
ランスの名前をひさびさに目にしましたね。
リチャード・ランスは、決して優良外人ではありませんでした。
タイトルは取ったものの、褒められた成績ではなかった。
でも、蛇口の中では未だに No.1助っ人外人です。
最高にドキドキさせてくれる選手でした。
今でも米国で元気にしてるのかなぁとちょっと気になります。
「プロ野球助っ人外人シリーズ」
気が向いたら次もやります!(笑)
2008年01月21日
PL学園 対 横浜 [夏の甲子園] (野球 / 1998年)
ども、桃地です。今日は高校野球について語ります。
桃地はよく高校野球を観るのですが、この年の夏の甲子園は特に感動を覚えました。
例年以上に燃えた夏でした。
その中でも、この試合は忘れられません。
PL学園 対 横浜(第80回全国高等学校野球選手権大会)
1998/08/20
PL学園と横浜は同じ年の春の選抜で対戦しており、そのときは横浜が勝ちました。
横浜はそのまま選抜を優勝してます。
そして両校は夏の甲子園の準々決勝で、再び戦うことになりました。
横浜のエースは、現在メジャーリーグのボストンレッドソックスで活躍中の松坂大輔。
このときからすでに大注目だった松坂は、PL学園戦でも先発のマウンドに立ちました。
松坂のピッチングは超高校級と言われ、これまで危なげなく勝ち進んできましたが、PL学園戦だけは苦戦しました。
松坂の投げる球は確かにすごい切れ味。
しかしPL学園はどの選手も松坂の球をよくとらえてました。
試合はPL学園が先制点を奪って、その後もコンスタントに追加点を奪い、怪物松坂の前に物怖じせず、堂々たる試合を展開していきました。
試合は緊迫した内容で、5-5の延長戦へ。
横浜のピッチャーは松坂が続投しました。
延長11回表、横浜がついに1点勝ち越しました。
この試合、横浜が初めてリード。
しかしその裏、松坂が打たれ、PL学園が1点を奪い追いつきました。
試合は続行します。
延長戦はなかなか決着がつかず、甲子園は緊迫した雰囲気の中、試合が進んでいきます。
息つく暇がありません。
松坂はまだ1人で投げています。
そして延長16回表、再び横浜が1点追加し、勝ち越します。
これでついに決着かと思われた延長16回裏。
なんとPL学園は再び1点を奪い取り、追いつきます!
絶対点を取るという意思がひしひしと伝わる闘志溢れるプレー。
このときのPL学園の粘り強さには感動を覚えました。
そして迎えた延長17回表、横浜の攻撃。
2アウトをとられて松坂が次の投球に備えて練習投球を開始しました。
ここでランナーを1人おいて、横浜が2ランホームランを放ちます!
これで9-7、貴重な勝ち越し点!
ここまで投げ続けてきた松坂にとっては、ものすごくうれしかったはず。
このとき、とても印象的なシーンがありました。
横浜が勝ち越しホームランを打ったときの松坂をカメラはとらえたのですが、松坂は特に喜びを表現することなく、淡々とキャッチボールをしていました。
これまで2度追いつかれているので、喜ぶのはまだ早いと自分をおさえていたのかもしれません。
しかし仲間が3度も勝ち越してくれたこと、その頼もしい仲間たちと戦えてることの幸福感みたいなものを噛みしめていたに違いありません。
そんな表情でした。
試合は17回裏も松坂が投げ、0点に抑えて試合終了。
延長17回、ついに松坂は1人で投げきりました。
その後の甲子園は松坂の完全な一人舞台でした。
準決勝の明徳義塾戦、松坂はリリーフで登板しましたが、それで大量リードされていたチームが奮起し、劇的な逆転サヨナラで決勝戦に進出しました。
そして決勝の京都成章戦で、松坂は先発のマウンドに立ち、決勝戦でノーヒットノーランという偉業を成しえました。
これで横浜は春夏連覇。
まさに松坂の甲子園でした。
松坂は確かにすごい選手でした。
しかしこの試合に関しては、打たれても追いつき、追いつかれても突き放すという横浜とPL学園の選手たち全員にしびれました。
まさに全員野球、チーム全体がぶつかりあった試合。
みんな輝いてました。
当時高校を卒業して数年しか経ってなかった桃地は、この試合で年下の彼らのプレーに初めて心の底から感動させられたのを覚えてます。
高校野球の魅力がつまった、後世に残る名試合です。
今回はちょっとかしこまりモードになりました、なんとなく。
| 桃地思い入れ度 | ★★★★☆ |
| PLを応援してた | ★★★☆☆ |
| 実は浜田を応援してた | ★★★★★ |




